2020年10月、
私たちにお客様からの声が届きました。
私たちにお客様からの声が届きました。
Episode1.
遺品整理で出てきた家族写真
家で自営業を営んでいた父が亡くなり、遺品の整理をしていた中で出てきた劣化した不鮮明な二眼レフカメラの写真。業者に依頼し修復してもらうと、1台の車と家族の写真でした。当時5歳だった私の記憶はあいまいで、この写真に映し出された車の名前を思い出すことができずにおりました。
そんなある日、新聞を読んでいると、紙面の1面に写真と同じ車が掲載されているのを見つけ、家族で“この車だ!”ととても驚き興奮しました。興奮が冷めやらず、気が付いた時には、受話器を握っていました。
そんなある日、新聞を読んでいると、紙面の1面に写真と同じ車が掲載されているのを見つけ、家族で“この車だ!”ととても驚き興奮しました。興奮が冷めやらず、気が付いた時には、受話器を握っていました。
栃木トヨタの本社に、レストアした初代クラウンを展示していることをお伝えし、ご来社いただきました。
Episode2.
無断でドライブ。父に怒られたことも。
車の買い替えはいつもクラウンでした。私が高校生になり、軽免許、普通免許を取得した頃、父が乗っていた4代目クラウンを無断で借り、クラウンにサーフボートを載せ、友人と海までサーフィンをしに行きました。帰宅後は、父に怒られたことを今でも覚えています。
大学時代には、父から譲り受けたクラウンの屋根にアタッチメントを着けて、サーフィンやスキーに行きました。
大学時代には、父から譲り受けたクラウンの屋根にアタッチメントを着けて、サーフィンやスキーに行きました。
Episode3.
家族との想い出にはいつもクラウンが一緒でした。
今思えば、父はハイカラで家族想いな人柄でした。休日には家族でおしゃれをしてクラウンに乗り込みます。私のいつもの特等席は後部座席の兄と姉に挟まれた真ん中で、運転席の父、助手席の母の背中越しに見る行く先の景色に胸が躍っていました。銀座へ食事に行ったり、小学生の時にできた東京タワーを見に行ったり、潮干狩りに出かけたりと様々なところへ連れて行ってもらいました。夏場、山道を登るときや渋滞していているときには、父がクーラーを消し、家族に「窓を開けろ~」と指示します。エンジンが熱を持ちすぎてオーバーヒートしないようにするためでです。今では考えられないですよね(笑)。
冬にスキーに行った際には、雪が降る道の途中で、厳しい寒さの中、金属チェーンを着けている父の姿が特に印象に残っています。
私が就職し家を出た後も、父はずっとクラウンを乗り継いでいました。父は本当にクラウンが好きだったのだと思います。家族との想い出にはいつもクラウンが一緒でした。
冬にスキーに行った際には、雪が降る道の途中で、厳しい寒さの中、金属チェーンを着けている父の姿が特に印象に残っています。
私が就職し家を出た後も、父はずっとクラウンを乗り継いでいました。父は本当にクラウンが好きだったのだと思います。家族との想い出にはいつもクラウンが一緒でした。
新車のようにレストアされた初代クラウンを懐かしそうにご覧になったお客様。
65年前に戻られたような笑顔が印象的でした。
65年前に戻られたような笑顔が印象的でした。
お客様の想い出とともにこれからも。
栃木トヨタ